コケットリーは、イエスとノーを同時に言う。こうしたコケットリーの技法は、そのままファッションのそれでもある。実際、ファッションとは他人に対して自分を「見せる」ことだ。けれども、その時わたしたちは、同時に自分を「隠して」いる。ほかでもない、衣服を身にまとうことによって。ファッションとは、着衣によって自分を隠しつつ、隠すことによって自分を見せる技法なのである。そこでは、「遠ざかる」ことが「近づく」ことであり、まなざしを「拒む」ことがまなざしを「ひきよせる」ことにひとしい。そう、ファッションは、コケットリーのようにくあいだをゆれるのだ。見えることと見えないこと、隠すことと見せること、着衣と裸体のあいだを。コケットリーという誘惑の形式は、身体の可視的な表面に生起するファッショナブルな現象なのである。それは、まなざしを惑わしながら誘惑する。たとえば、ここ数年のトレントになっている「透ける」服。ストレートに肌を露出するのでなく、かといってまったく隠すのでもないシースルーの服は、身体をなかば覆い、なかば見せながら、イエスとノーを同時に語ってはいないだろうか。