衣料バブル発生と崩壊の真因

2011-06-20

中国を主体に、こぞってアジアの低人件費効果を追求したのである。しかし、そうして実現したコスト低減は、なかなか国内価格には反映されなかった。反映されないどころか、逆に折からのバブルに浮かれた世相に乗じ、ファッションだからこそ許される「ブランド」や「イメージ」なるフリルを幾重にもまとい、今から思えば法外とも言うべき価格設定がまかり通った。当時の国内向けアパレル産業(小売業を含む)は、笑いが止まらなかっただろう。とりわけ手作業工程の多い労働集約型のアパレルは、他産業以上にアジアのローコストメリットを享受できる。生産拠点移動による原価と市場価格の格差拡大は、彼らに莫大な利益をもたらしたのである。しかしその一方で、衣料品の国内価格と国際価格の格差もまた、極限にまで達していた。かくして90年初頭のバブル崩壊と前後して、日本の衣料品は最も内外価格差の大きい部門としてクローズアップされるようになる。もとよりアパレル商品は世界的にも、万年供給過剰気味だった。したがって他の商品部門以上に強いデフレ圧力が加わる。これが衣料バブル発生と崩壊の真因である。