どのようなタイプの医者を選ぶは患者の持つ自由

2012-02-05

私が医者になった頃はまだ末期医療という概念が普及していなかった。病気に効くとされるあらゆる治療手段を使い果たし、医者も家族もやれることだけはやった、と勝手に思い込んでいた時代であった。死んでゆく患者は生き残る者たちの自己満足のために最期まで苦しんだり、本人にとっては何の意味もない延命治療を強いられていた。これはおかしい、と多くの医者たちが気づいていたが、誰も猫の首に鈴を付ける勇気はなかった。このあたりにも医者が偏差値エリートであることの弊害が色濃く出ている。試験を前にして、偏差値エリートたちは予想される問題すべてに目をとおす努力をし、そのように努力すれば結果は必ずむくわれるという経験を積んできている。この経験から、実際の医療でも多くの文献、学会から得た最新の知識を応用すれば必ずよい結果が出るはずだと思い込む。そういう「努力」をしないで患者の苦痛を除くためにモルヒネを用いるなどという行為は「怠惰」だと思われてしまう。実はこういう医者たちはまだまだ多い。しかもよく勉強する優秀な医者に多い。看護婦さんの情報を大事にすべきだと書いたのは、彼女たちはこのような現場の状況をよく知っていて、どのような医者が一番患者のことを理解してくれるのかを冷静に判断しているからである。どんなに苦しくても最期まで前向きな治療を希望する人だっているはずだから、最期まであきらめない医者もいてもらわなくては困る。どのようなタイプの医者を選ぶか。それは病名の告知を正確に受け入れることのできた患者の持つ自由なのである。